JGN関東大会2015銚子大会のブース展示

 「JGN関東大会2015銚子大会」のブース展示に参加した
     銚子ジオパーク推進市民の会2011~2015」の展示内容 (A2版10枚)

ブース展示_市民の会の活動紹介Ver3Blog版1stPage
『銚子ジオパーク推進市民の会』ブース展示.pdf

  上記の画像ないし下線付き文字をクリックすると、展示内容(PDF10枚分)を閲覧できます。
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銚子ジオパーク推進市民の会とは

◆ 「銚子ジオパーク推進市民の会」を1枚の画に描くと・・・

   (画像ないし、下線付き文字のクリックで、PDFファイルが立ち上がります。)

銚子ジオパークとは10

銚子ジオパーク推進市民の会10.pdf


     文責・図面制作・ブログUP  :  銚子ジオパーク推進市民の会  (伊藤 小糸)


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銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (3)

【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (2)からの続き】

(7)
  海鹿島_㋖ 【写真右】
海鹿島礫EdChr  君ヶ浜から海鹿島
へかけての銚子半島東海岸では、沖合に、の目立つ海鹿島礫岩の岩礁が続きます。
  銚子層群海鹿島層は、中生代 白亜紀前期(1億3000万年前)、隆起して浅い海に堆積盆を形成していた中生代 ジュラ紀愛宕山層の上に、不整合で堆積したと見られます。現在は、愛宕山層とは断層で切られています。
  海鹿島層は、銚子層群の中で最も古く、銚子層群の基底礫岩と見做されていますが、礫岩層が砂岩層に挟まれている部分があるほか、一部に薄い泥岩層も見られます海鹿島礫岩のの90%はチャートです。

(8)
黒生
漁港_㋗ 【写真A~B】 
  黒生古銅輝石安山岩0047EdChr黒生は、伊能図には「黒ハエ」と示されている地点で、「ハエ」とは岩礁のことを指します。
    黒生漁港の海中には、古銅輝石安山岩の岩礁が続きます。
  見事な板状節理を成している岩体がある一方で、溶岩の噴出時の状態を示して
集塊岩になっている岩体もあります。
  これらは、「宝満」のそれと同様、
新生代 新第三紀 中新世前期(2100万年前)の浅い海中に噴出したもので、当時は、火山フロントがこの辺にあったことが分ります。
トンビ岩0065Ed2Chr
  
一方、黒生海岸に立つ「美賀保丸遭難碑」の横にある大きな岩体は、海鹿島礫岩 (7) から成ります。その特異な形状から、「トンビ岩と名付けられています。

  幕末、榎本武揚軍は官軍との
転戦を図り、蝦夷地へ向けて北進中でした。同行する800 t の大型輸送船=美賀保丸は、折からの台風により房総沖で遭難して流され、黒生の岩礁地帯で座礁・沈没しました。幕府方に13名の溺死者を出したものの、地元漁民が多くの乗組員を救助したと伝わります。

(9)  黒生海岸段丘_㋘ 【写真左】
黒生0035EdChr  黒生
海岸段丘
の冷凍倉庫群の入り口の埋立地、八丈ススキの茂った崖下に、中生代 ジュラ紀(1億5000万年前)に付加体となったチャートの岩塊が残っており、愛宕山層群に属します。黒生チャートは、愛宕山層群の中では下層の一部を構成します。

  海溝では、海洋プレートが斜めに沈み込んで、陸側プレートの下に底付けされます。この時、海洋プレートの表面に堆積していたチャートの一部は、海洋プレートの表面から剥ぎ取られ、陸源性の付加体が作られる際に、ブロックとして取り込まれます。

  チャートは、先人たちに「火打石」として重宝された、非常に硬い岩石です。チャートは、石英SiO2二酸化ケイ素で殻を作る放散虫(ラジオラリア)の死骸が4000m以上の深海底に堆積したものとされています。石英は無色透明ですが、チャートが堆積する過程で混入した鉄分等によって、様々な色をしている場合があります。
  黒生チャートの多くは淡緑色で、生物大絶滅の起きた古生代 ペルム紀末(2億5100万年前)に程近い、中生代 三畳紀前期の酸欠時代の深海に堆積し、含有鉄分のFe2+(淡緑色)が酸化されなかったために、この色をしていると言われています。

  黒生チャートから発見されたコノドントは、三畳紀の特徴を示しています。因みに、コノドントは、八目ウナギの進化形で、カンブリア紀前期(5億8000万年前)~三畳紀末(2億年前)まで生息していた、クリダグナサスと呼ばれる、原始的な脊椎動物の歯として機能したとされています。彼等は、この堅く鋭い歯を使って、甲殻類を捕食していたと考えられています。

(10)
ポートタワー_㋙ 【写真右】
夫婦ヶ鼻0006EdChr 銚子ポートタワー」の足元には、夫婦ヶ鼻層凝灰質シルトの大きな岩体があります。因みに、シルトの粒の大きさは、泥岩と粘土の中間です。
  夫婦ヶ鼻層は、日本海の拡大が完了する前の、新生代 新第三紀 中新世中期(1650万年前)に、やや深い海に堆積した地層です。
 今の銚子外港の堤防付近に、かつては、「メドヶ鼻」と呼ばれる岬があり、夫婦ヶ鼻層の地層が長く続いており、海食による空洞をメドと呼んだことに由来するといいます。やがて、メドに夫婦(メオト)の文字を当てて、「夫婦ヶ鼻」と表記するようになったと伝わります。
 
(11) 一ノ島四ノ島_㋚ 【写真左】
一ノ島灯台52EdChr  川口漁港を利根川の河口へ回り込むと、「一ノ島灯台」があります。灯台の立つ一ノや、近辺の二ノ島四ノ島は、宝満や黒生と同様、新生代 新第三紀 中新世前期(2100万年前)の浅い海中に噴出した、古銅輝石安山岩の岩礁です。当時は、ここにも火山フロントがあったことが分ります。
  また、近辺からは、Fe2+を含む代表的鉱物である黄鉄鉱も産出し、酸欠時代の海底堆積物の可能性も示唆されます。

(12)
香取海と利根川の河岸段丘_㋛ 【写真A~B】
  利根川沿いを北へ向かって進むと、初めは漁港、次いで水産業関連施設と商業施設が続きます。やがて、河岸に葦原が広がり、部分的に開発されて、近代的な設備が点在しています。
野尻河岸の廻船問屋EdChr  日本一の流域面積を持つ利根川は、江戸初期に流路の付け替え工事が行われて、鹿島灘側が河口になりました。江戸期には、東北地方と江戸を結ぶ利根水運で賑わった河岸の隆盛も、今では「野尻河岸」辺りに、僅かな痕跡を留めるのみです。  

  江戸期以前、この地域には、縄文海進期以来の「香取海(カトリノウミ)」が広がっていました。
  また、新生代 第四更新世末期から完新世(1万年前~)には、関東造盆地運動により、大量の土砂が上流から流れて来て堆積し、沖積層河岸段丘が次々に形成されました。
海上八幡宮EdChr  従って、この地域は、銚子半島で最も新しい地層です。その分、続成作用が進んでいないために、大きな地震があると、液状化しやすく、3.11でも噴砂が見られました。
  因みに、関東造盆地運動は、関東山地などの、関東平野を囲む周辺山地の隆起運動が活発になり、相対的に平野中央部が沈降する運動で、第四に特徴的な地殻変動です。

 縄文期以来、黒潮に乗って太平洋から香取海沿岸に上陸し先人達は、この河岸段丘に、多くの遺跡・古墳・城址を遺しています。
  先人達からの伝承を、古文書・DNAの双方で今に伝える、海上八幡宮東光寺などの
も遺っています。
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