マップは、「銚子半島ぐるっとジオ_マップ編」を参照。

総武本線の終点=JR銚子駅で銚子電鉄に乗り換え、「犬吠」駅で降ります。
ここから、西に向かい、愛宕山の坂道を上ります。

(1)  高神愛宕山_㋐ 【写真A~B】  
愛宕山0096EdChr  銚子半島で最も高い高神愛宕山(73.62m)は、中生代 ジュラ紀(1億5000万年前)の付加体で、砂岩礫質頁岩からなり、愛宕山層群に属します。

 付加体に 陸側から土砂を供給したのは、三畳紀のユーラシア大陸における、地塊の衝突とされています。
 三畳紀中期(2億3000万年前)に、プレートに載って北上する南中国(揚子)地塊と、同じく東進する北中国(中朝)地塊が衝突し、その縫合線の北東端から海中に、大量の土砂が流出し、海溝斜面を乱泥流として下降し、深い海中に堆積しました。

フズリナ高神礫岩EdChr  愛宕山の頂上に立つ「地球の丸く見える丘展望館」の足元には、愛宕山層群の下層の一部を構成する高神礫岩があります。
  高神礫岩に含まれる花崗岩類からは、K-Ar分析により、古生代 ペルム紀中期(2億7000万年)の角閃石や、同じくペルム紀後期(2億5500万年前)の黒雲母が発見されています。また、高神礫岩に含まれる石灰岩礫からは、同じくペルム紀後期のフズリナが、数多く見つかります。
  高神礫岩は、含まれる花崗岩類のの成分分析により、東北の南部北上帯および九州の黒瀬川帯で見つかる薄衣式礫岩と類似し、両者の中間的な特徴を持つ地層と見做されています。

  銚子半島の基盤は、高神愛宕山と同様、ジュラ紀の付加体から成ります。

(2)  屏風ヶ浦 & 下総台地_㋑ 【写真A~C】
屏風ヶ浦011Ed5Chr

    愛宕山を南に下ると、屏風ヶ浦の海岸に出ます。ここから西を望むと、新生代 第四紀更新世(258万年~1万年前)に、洪積層の堆積で形成された下総台地が、標高約30m~60mで、刑部岬(旭市)まで約10kmに亘って続きます。屏風ヶ浦で最も標高があるのは磯見川南岸で、「光と風の展望館」のある断崖の北側で、68mです。
  屏風ヶ浦の地層は、下位から順に、犬吠層群(265万年~40万年前)香取層(13万年前)関東ローム層(5万年~1万年前)から構成されています。犬吠層群は、下位から順に、名洗層春日層小浜層横根層呼ばれ、これらは上総層群の一部です。
  屏風ヶ浦名洗層の下部は新第三紀 鮮新世(280万年~258万年前)に堆積しました。屏風ヶ浦名洗層(280万年~220万年前)は凝灰質砂岩から成ります。春日層(220万年~170万年前)は砂岩とシルト岩互層を成し、タービダイトによるスランプ構造逆断層が見られます。小浜層(170万年~78万年前)は下部がシルト岩で上部がシルト質砂岩横根層(78万年~40万年前)はシルト質砂岩から成ります。

下総台地の谷頭浸食EdChr  遠くからも縞状に見える屏風ヶ浦地層には、日本各地からの広域火山灰が堆積しています。250万年前の火山灰の地層からは、丹沢の巨大噴火によるザクロ緑色片岩が発見されています。
  関東造盆地運動により、東京を含む関東平野中心部は、現在も徐々に沈降を続け、銚子半島は現在も徐々に隆起を続けています。 
  結果的に、屏風ヶ浦の地層は、北から南へ、約3°、緩やかに傾斜しています。ボーリング調査の結果、東京では、屏風ヶ浦と同等の地層が、地下の約1200m付近から得られます。

  下総台地上部の香取層や関東ローム層は、続成が進んでいないために軟弱で、雨水や川による谷頭浸食が進み、浸食谷が川の上流に向かって樹枝状に伸びる様子が、航空写真から見てとれます。側面からはラクダのコブが続くように見えます。
常燈寺薬師如来EdChr  先人達は、谷頭浸食を利用して、水利の良い低地に谷津田を作りました。浸食で残った台地上は畑地に利用されています。台地と谷津田の境界となる法面には、タブ・スダジイ・ツバキ・ヤツデなどの照葉樹林の森が残っています。

  また、太平洋の荒波に晒される下部の犬吠層群は、海食崖の形成と崩落を繰り返して、約1m/年ずつ後退しています。平安末期には、今より1kmも東に海岸線があり、壇ノ浦で「義経四天王の一人として活躍した片岡常春の佐貫城があったと伝わります。今では、地元の地名に「サヌキ」を残すばかりです。
  
片岡常春は、両総平氏の一族・海上庄司常幹の子で、三崎(銚子市三崎町)が本領です。飯岡灯台の立つ刑部岬の地名は、片岡常春の家老=鬼越刑部の館が、この岬の崖下にあったことに由来すると伝わります。

 
旭市に近い磯見川の流域には、黒潮に乗って太平洋から磯見川を遡上した、新石器時代からの先人たちが定着しており、遺跡・古墳・城址が豊富です。
  現在は過疎化が進んで、伝承の多くが失われていますが、鎌倉時代初期の代表的な作例とされる、国指定の重要文化財=薬師如来像(常燈寺)の「飛天光背」からは、12体の音声菩薩(飛天)が奏でる往時の楽の音が聞こえてくるようです。
  この仏像の地元公開は毎年1月8日だけですが、千葉県中央博物館に精巧なレプリカを常設展示しており、当時の銚子の文化程度の高さを実感できます。

(3)  犬岩・千騎ヶ岩・犬若岬_㋒ 【写真右】
犬岩1199377Ed3Chr    屏風ヶ浦の海岸沿いに東へ進み、犬若岬に出ると、遠い南の海から海洋プレートに載って移動し、中生代 ジュラ紀(1億5000万年前)に付加体となった、義経伝説の「犬岩」と「千騎ヶ岩」が、波に洗われています。ここの付加体高神愛宕山と同様硬砂岩泥岩からなり、愛宕山層群に属します。

  「犬岩」の東に位置する犬若岬には、「犬岩」に隣り合う岬の南側に正断層があり、その下部が海食洞になっています。この海食洞からは、常時、海水が陸側に打ち寄せています。台風などで風の強い日は、波の花が、陸側に吹き上がって見事です。
 海食洞のある南側から鍵の手に折れて、岬が北行する部分には、南側からジュラ紀の巨大な岩体が衝上しています。

  その断層部分より北側には、ジュラ紀の岩の窪みを埋めるように、新生代 新第三紀 鮮新世名洗層(500万年前)が堆積しています。ここでの名洗層は、凝灰質砂岩が勝り、分厚い斜交層理が目立ちます。下部のジュラ紀の岩体とは、アバット(不整合の一種)で接しており、ここでの名洗層の堆積が、比較的浅い海で、短い期間に発生したことが分ります。
  「本家の台」と呼ばれる岬の上部に登ると、ジュラ紀の岩体の隙間に、名洗層の凝灰質砂岩が堆積し、側面に、名洗層の地層の縞模様が見えます。 
 
(4)
  宝満_㋓ 【写真左】
宝満Ed2Chr  外川漁港から海沿いに、「長崎灯台」のある長崎鼻を回ると、浅い海中に、義経伝説が彩る島=「宝満の、大小の岩礁があります。この岩礁へは、大潮の日の干潮時には徒歩で渡ることができ、岩体を詳細に観察できます。日頃は人が近づかないので、ウミウの生息地になっています。

  日本海が拡大を始める少し前、新生代 新第三紀中新世前期(2100万年前)、この一帯の浅い海中には火山フロントがあり、この島に古銅輝石安山岩が噴出し、板状節理を成しています。熔岩には気泡が通過した無数の穴があり、下部は酸化して赤褐色となっています。

  古銅輝石安山岩は、青銅に似て緑色をした古銅輝石の小粒の結晶を大量に含み、苦灰石方解石が節理の隙間を埋めています。古銅輝石は、斜方輝石の一種で、高マグネシウムを特徴とし、鉄分が少な目です。また、苦灰石は、灰白色を基準に、塩化鉄を含むと黄ばみ、酸化鉄を含むと赤味を帯びます。
  
  ここの安山岩は、Mg(マグネシウム)を多く含み、SiO2(二酸化珪素)の比率が他の安山岩より少な(玄武岩に近)く、比較的穏やかに噴出して、浅い海中や地表を流れたと考えられています。古銅輝石安山岩は、宝満では凝灰質砂岩の上を覆い、「宝満では犬吠埼とよく似た砂岩を半分ほど覆っています。 

(5) 長崎海岸_㋔ 【写真右】
長崎海岸風景EdChr   「宝満」を臨む長崎海岸の地層は
中生代 白亜紀前期(1億年前)のやや深い海に堆積した銚子層群長崎鼻層です。白亜紀には、海洋プレートが北上していたので、銚子半島の白亜紀の地層も、北ほど古く、南ほど新しくなります。長崎鼻は、銚子半島東岸で最南端に位置するので、長崎鼻層は、銚子半島東岸に堆積した銚子層群の中で最も新しい地層です。

Trigonia3161EdChr 長崎海岸の西側の海岸段丘上には、
新生代 新第三紀 鮮新世(500万年前)に堆積した名洗層基底部があり、それ以前に堆積したジュラ紀~白亜紀~新第三紀 中新世の地層を、として取り込んでいます。
 長崎海岸を歩くと、薄緑・オレンジ・赤紫などのジュラ紀のチャートや、グレーの犬吠砂岩、黒い石炭や泥岩、黒い古銅輝石安山岩などの転石が、至る所に見られます。また、名洗層凝灰質砂岩に取り込まれた、白亜紀のノジュールなどもあります。
  泥岩の中から白亜紀の琥珀を見つけた人や、ノジュールの中から白亜紀のアンモナイトトリゴニアを見つけた人もいますが、よく見つかるのは名洗層サメの歯です。
  アンモナイトや殻が合わさった二枚貝化石の内部には、方解石の結晶ができていることがあります。因みに、方解石は、CaCO3 炭酸カルシウム)からなる鉱物です。方解石と同じ化学組成で、サンゴのような形状に結晶した霰石(アラレイシ)を見つけた人もいますが、今では乱獲が進んでいるようです。
                                            【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (2)へ続く】