マップは、「銚子半島ぐるっとジオ_マップ編」を参照。

【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (1)からの続き】

(6) 犬吠埼_㋕ 【写真A~G】
Hunmock3052EdChr  酉明浦を通って、「犬吠埼灯台」を目指します。
 
犬吠埼地層は中生代 白亜紀前期(1億1900万年~1億1300万年前)の、沖浜までの浅い海に堆積した銚子層群犬吠埼層です。
  灯台下の前浜~沖浜には、砂岩と泥岩が互層を成し、南に向いて傾斜しています。また、砂岩泥岩互の連なりが、嵐の多かった当時の海底を反映し、波のうねりの形状を留める、ハンモック状斜交層理が多く見られます。
  遊歩道下には、分厚い砂が流れた方向を表す斜交葉が続いています。嵐によって、当時の浅海に、大規模な砂が陸側から流入したことが分ります。

皿状&渦巻&斜交7891Chr  分厚い斜交葉理の下に、コンボリュ-ト葉理、その下に典型的な皿状構造が見られる場所があります。
  皿状構造は、水分を多く含む未固結の地層の上に、急激に砂が流入した圧力により間隙水圧が急上昇し、下の地層から、小皿様に見える単位で、水分が上方に吸い上げられたことを示します。
  コンボリュ-ト葉理皿状構造を形成した地層よりもさらに水分を多く含む未固結の地層の上に、急激に砂が流入した圧力により水分が砂を巻き込んで、両者が渦巻き状に、上方に吸い上げられたことを示します。

生痕化石fgi007EdChr  足元を見ると、当時の浅海底に棲んで、マカロニクナスと呼ばれる管状生痕を形成した、生痕化石が随所にあります。地層の層理面を崩すような生物の活動は、生物擾乱として残りました。
蜂の巣状風化219EdChr
  砂岩表面に目立つ
蜂の巣状風化(タフォニー)は、砂岩の表面から水分が蒸発して塩類が残り、塩類の化学作用で砂岩が脆くなり、その部分が風化して崩れたものです。犬吠埼の場合は、管状生痕を堤防がわりに、海水が溜り、強い日照で塩類が濃縮され、砂岩表面を化学変化によって削って行く様子が見られます。

漣痕fgi006Ed2Chr  現在でも、前浜では、寄せては返す波の痕が一時的な漣痕として残りますが、その多くは、次の波で掻き消されてしまいます。
犬吠埼の砂岩表面に残る漣痕化石は、当時の浅い海底に一旦できた漣痕が消える前に、薄い粘土に覆われて固まったために型取りされ、その後、波の浸食で粘土部分が失われて、型取りされていた漣痕が露出したものです。当時の引き波で残された、砂の傾きが確認できます。

琥珀7887EdChr  砂岩の中には、当時の温暖な海に陸側から流入した、熱帯性シダやソテツの葉などの植物化石がよく見つかります。また、南洋スギなどの樹脂の化石である琥珀も、見つかることがあります。以前、この砂岩の中から見つかった、虫入り琥珀
「千葉県中央博物館」に、また、大型のアンモナイト印象化石は「銚子市青少年文化会館」に、展示されています。
  上記の
琥珀は、虫入り琥珀としては、世界で二番目に古く、日本で一番古いものです。

牧水ノジュール0013EdChr  南の波打ち際の砂岩には、多くの球形ノジュールが顔を覗かせています。過去の調査結果から、中には、アンモナイトやエビの仲間が入っている場合が多々あります。
  ノジュールの成因については、
化石や砂粒を核として、岩石中の珪酸・炭酸塩・鉄酸化物など濃集・沈殿しながら固まってできたとされています。
  特に、炭酸塩では、「生物の死後に、体内のカルシウムが溶け出し、周囲に砂を濃集・沈澱させて球形になった」という説が有力です。
  一方、北側の
石切り場跡の砂岩の壁からは、球体に頭だけ突っ込んだ状態で、エビの仲間のノジュールが発見されることから、「球体は、アンモナイトやエビの住居」という見方もあります。

  上に挙げたような、数々の「犬吠埼の浅海堆積物」は、国の天然記念物に指定され、保護が図られています。

InuboSagan&TodaiExChr  灯台のある台地は標高約20mですが、南の波打ち際から台地を見上げると、南に約30°傾斜しています。一方、灯台の北の君ヶ浜の海岸から台地を見上げると、北に傾斜しています。
  これは、
白亜紀前期地層が堆積したよりも後の時代に、南からのプレートの押しによって、ほぼ東西に軸を持つ褶曲が起きたことを示します。さらにその後、海進によって褶曲背斜部分が浸食され、もう一度隆起したのが、今の台地の地形とされています。

  「犬吠砂岩」は、古くから石垣や墓石用に切り出され、遠くは常陸の行方辺りまで出荷されました。今では、石切り場跡が「馬糞池」と呼ばれて、海水が流入し、小魚や貝類が生息しています。江戸城の石垣の改修時にも、「
犬吠砂岩」が使われたという記録があります。
  江戸時代には、「
犬吠砂岩」を目の粗い砥石として出荷し、「海上砥」として知られ、一帯は「砥石山」と呼ばれていました。
                                     【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (3)へ続く】