ツーリング

銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (3)

【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (2)からの続き】

(7)
  海鹿島_㋖ 【写真右】
海鹿島礫EdChr  君ヶ浜から海鹿島
へかけての銚子半島東海岸では、沖合に、の目立つ海鹿島礫岩の岩礁が続きます。
  銚子層群海鹿島層は、中生代 白亜紀前期(1億3000万年前)、隆起して浅い海に堆積盆を形成していた中生代 ジュラ紀愛宕山層の上に、不整合で堆積したと見られます。現在は、愛宕山層とは断層で切られています。
  海鹿島層は、銚子層群の中で最も古く、銚子層群の基底礫岩と見做されていますが、礫岩層が砂岩層に挟まれている部分があるほか、一部に薄い泥岩層も見られます海鹿島礫岩のの90%はチャートです。

(8)
黒生
漁港_㋗ 【写真A~B】 
  黒生古銅輝石安山岩0047EdChr黒生は、伊能図には「黒ハエ」と示されている地点で、「ハエ」とは岩礁のことを指します。
    黒生漁港の海中には、古銅輝石安山岩の岩礁が続きます。
  見事な板状節理を成している岩体がある一方で、溶岩の噴出時の状態を示して
集塊岩になっている岩体もあります。
  これらは、「宝満」のそれと同様、
新生代 新第三紀 中新世前期(2100万年前)の浅い海中に噴出したもので、当時は、火山フロントがこの辺にあったことが分ります。
トンビ岩0065Ed2Chr
  
一方、黒生海岸に立つ「美賀保丸遭難碑」の横にある大きな岩体は、海鹿島礫岩 (7) から成ります。その特異な形状から、「トンビ岩と名付けられています。

  幕末、榎本武揚軍は官軍との
転戦を図り、蝦夷地へ向けて北進中でした。同行する800 t の大型輸送船=美賀保丸は、折からの台風により房総沖で遭難して流され、黒生の岩礁地帯で座礁・沈没しました。幕府方に13名の溺死者を出したものの、地元漁民が多くの乗組員を救助したと伝わります。

(9)  黒生海岸段丘_㋘ 【写真左】
黒生0035EdChr  黒生
海岸段丘
の冷凍倉庫群の入り口の埋立地、八丈ススキの茂った崖下に、中生代 ジュラ紀(1億5000万年前)に付加体となったチャートの岩塊が残っており、愛宕山層群に属します。黒生チャートは、愛宕山層群の中では下層の一部を構成します。

  海溝では、海洋プレートが斜めに沈み込んで、陸側プレートの下に底付けされます。この時、海洋プレートの表面に堆積していたチャートの一部は、海洋プレートの表面から剥ぎ取られ、陸源性の付加体が作られる際に、ブロックとして取り込まれます。

  チャートは、先人たちに「火打石」として重宝された、非常に硬い岩石です。チャートは、石英SiO2二酸化ケイ素で殻を作る放散虫(ラジオラリア)の死骸が4000m以上の深海底に堆積したものとされています。石英は無色透明ですが、チャートが堆積する過程で混入した鉄分等によって、様々な色をしている場合があります。
  黒生チャートの多くは淡緑色で、生物大絶滅の起きた古生代 ペルム紀末(2億5100万年前)に程近い、中生代 三畳紀前期の酸欠時代の深海に堆積し、含有鉄分のFe2+(淡緑色)が酸化されなかったために、この色をしていると言われています。

  黒生チャートから発見されたコノドントは、三畳紀の特徴を示しています。因みに、コノドントは、八目ウナギの進化形で、カンブリア紀前期(5億8000万年前)~三畳紀末(2億年前)まで生息していた、クリダグナサスと呼ばれる、原始的な脊椎動物の歯として機能したとされています。彼等は、この堅く鋭い歯を使って、甲殻類を捕食していたと考えられています。

(10)
ポートタワー_㋙ 【写真右】
夫婦ヶ鼻0006EdChr 銚子ポートタワー」の足元には、夫婦ヶ鼻層凝灰質シルトの大きな岩体があります。因みに、シルトの粒の大きさは、泥岩と粘土の中間です。
  夫婦ヶ鼻層は、日本海の拡大が完了する前の、新生代 新第三紀 中新世中期(1650万年前)に、やや深い海に堆積した地層です。
 今の銚子外港の堤防付近に、かつては、「メドヶ鼻」と呼ばれる岬があり、夫婦ヶ鼻層の地層が長く続いており、海食による空洞をメドと呼んだことに由来するといいます。やがて、メドに夫婦(メオト)の文字を当てて、「夫婦ヶ鼻」と表記するようになったと伝わります。
 
(11) 一ノ島四ノ島_㋚ 【写真左】
一ノ島灯台52EdChr  川口漁港を利根川の河口へ回り込むと、「一ノ島灯台」があります。灯台の立つ一ノや、近辺の二ノ島四ノ島は、宝満や黒生と同様、新生代 新第三紀 中新世前期(2100万年前)の浅い海中に噴出した、古銅輝石安山岩の岩礁です。当時は、ここにも火山フロントがあったことが分ります。
  また、近辺からは、Fe2+を含む代表的鉱物である黄鉄鉱も産出し、酸欠時代の海底堆積物の可能性も示唆されます。

(12)
香取海と利根川の河岸段丘_㋛ 【写真A~B】
  利根川沿いを北へ向かって進むと、初めは漁港、次いで水産業関連施設と商業施設が続きます。やがて、河岸に葦原が広がり、部分的に開発されて、近代的な設備が点在しています。
野尻河岸の廻船問屋EdChr  日本一の流域面積を持つ利根川は、江戸初期に流路の付け替え工事が行われて、鹿島灘側が河口になりました。江戸期には、東北地方と江戸を結ぶ利根水運で賑わった河岸の隆盛も、今では「野尻河岸」辺りに、僅かな痕跡を留めるのみです。  

  江戸期以前、この地域には、縄文海進期以来の「香取海(カトリノウミ)」が広がっていました。
  また、新生代 第四更新世末期から完新世(1万年前~)には、関東造盆地運動により、大量の土砂が上流から流れて来て堆積し、沖積層河岸段丘が次々に形成されました。
海上八幡宮EdChr  従って、この地域は、銚子半島で最も新しい地層です。その分、続成作用が進んでいないために、大きな地震があると、液状化しやすく、3.11でも噴砂が見られました。
  因みに、関東造盆地運動は、関東山地などの、関東平野を囲む周辺山地の隆起運動が活発になり、相対的に平野中央部が沈降する運動で、第四に特徴的な地殻変動です。

 縄文期以来、黒潮に乗って太平洋から香取海沿岸に上陸し先人達は、この河岸段丘に、多くの遺跡・古墳・城址を遺しています。
  先人達からの伝承を、古文書・DNAの双方で今に伝える、海上八幡宮東光寺などの
も遺っています。

銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (2)

マップは、「銚子半島ぐるっとジオ_マップ編」を参照。

【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (1)からの続き】

(6) 犬吠埼_㋕ 【写真A~G】
Hunmock3052EdChr  酉明浦を通って、「犬吠埼灯台」を目指します。
 
犬吠埼地層は中生代 白亜紀前期(1億1900万年~1億1300万年前)の、沖浜までの浅い海に堆積した銚子層群犬吠埼層です。
  灯台下の前浜~沖浜には、砂岩と泥岩が互層を成し、南に向いて傾斜しています。また、砂岩泥岩互の連なりが、嵐の多かった当時の海底を反映し、波のうねりの形状を留める、ハンモック状斜交層理が多く見られます。
  遊歩道下には、分厚い砂が流れた方向を表す斜交葉が続いています。嵐によって、当時の浅海に、大規模な砂が陸側から流入したことが分ります。

皿状&渦巻&斜交7891Chr  分厚い斜交葉理の下に、コンボリュ-ト葉理、その下に典型的な皿状構造が見られる場所があります。
  皿状構造は、水分を多く含む未固結の地層の上に、急激に砂が流入した圧力により間隙水圧が急上昇し、下の地層から、小皿様に見える単位で、水分が上方に吸い上げられたことを示します。
  コンボリュ-ト葉理皿状構造を形成した地層よりもさらに水分を多く含む未固結の地層の上に、急激に砂が流入した圧力により水分が砂を巻き込んで、両者が渦巻き状に、上方に吸い上げられたことを示します。

生痕化石fgi007EdChr  足元を見ると、当時の浅海底に棲んで、マカロニクナスと呼ばれる管状生痕を形成した、生痕化石が随所にあります。地層の層理面を崩すような生物の活動は、生物擾乱として残りました。
蜂の巣状風化219EdChr
  砂岩表面に目立つ
蜂の巣状風化(タフォニー)は、砂岩の表面から水分が蒸発して塩類が残り、塩類の化学作用で砂岩が脆くなり、その部分が風化して崩れたものです。犬吠埼の場合は、管状生痕を堤防がわりに、海水が溜り、強い日照で塩類が濃縮され、砂岩表面を化学変化によって削って行く様子が見られます。

漣痕fgi006Ed2Chr  現在でも、前浜では、寄せては返す波の痕が一時的な漣痕として残りますが、その多くは、次の波で掻き消されてしまいます。
犬吠埼の砂岩表面に残る漣痕化石は、当時の浅い海底に一旦できた漣痕が消える前に、薄い粘土に覆われて固まったために型取りされ、その後、波の浸食で粘土部分が失われて、型取りされていた漣痕が露出したものです。当時の引き波で残された、砂の傾きが確認できます。

琥珀7887EdChr  砂岩の中には、当時の温暖な海に陸側から流入した、熱帯性シダやソテツの葉などの植物化石がよく見つかります。また、南洋スギなどの樹脂の化石である琥珀も、見つかることがあります。以前、この砂岩の中から見つかった、虫入り琥珀
「千葉県中央博物館」に、また、大型のアンモナイト印象化石は「銚子市青少年文化会館」に、展示されています。
  上記の
琥珀は、虫入り琥珀としては、世界で二番目に古く、日本で一番古いものです。

牧水ノジュール0013EdChr  南の波打ち際の砂岩には、多くの球形ノジュールが顔を覗かせています。過去の調査結果から、中には、アンモナイトやエビの仲間が入っている場合が多々あります。
  ノジュールの成因については、
化石や砂粒を核として、岩石中の珪酸・炭酸塩・鉄酸化物など濃集・沈殿しながら固まってできたとされています。
  特に、炭酸塩では、「生物の死後に、体内のカルシウムが溶け出し、周囲に砂を濃集・沈澱させて球形になった」という説が有力です。
  一方、北側の
石切り場跡の砂岩の壁からは、球体に頭だけ突っ込んだ状態で、エビの仲間のノジュールが発見されることから、「球体は、アンモナイトやエビの住居」という見方もあります。

  上に挙げたような、数々の「犬吠埼の浅海堆積物」は、国の天然記念物に指定され、保護が図られています。

InuboSagan&TodaiExChr  灯台のある台地は標高約20mですが、南の波打ち際から台地を見上げると、南に約30°傾斜しています。一方、灯台の北の君ヶ浜の海岸から台地を見上げると、北に傾斜しています。
  これは、
白亜紀前期地層が堆積したよりも後の時代に、南からのプレートの押しによって、ほぼ東西に軸を持つ褶曲が起きたことを示します。さらにその後、海進によって褶曲背斜部分が浸食され、もう一度隆起したのが、今の台地の地形とされています。

  「犬吠砂岩」は、古くから石垣や墓石用に切り出され、遠くは常陸の行方辺りまで出荷されました。今では、石切り場跡が「馬糞池」と呼ばれて、海水が流入し、小魚や貝類が生息しています。江戸城の石垣の改修時にも、「
犬吠砂岩」が使われたという記録があります。
  江戸時代には、「
犬吠砂岩」を目の粗い砥石として出荷し、「海上砥」として知られ、一帯は「砥石山」と呼ばれていました。
                                     【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (3)へ続く】
 

銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (1)

マップは、「銚子半島ぐるっとジオ_マップ編」を参照。

総武本線の終点=JR銚子駅で銚子電鉄に乗り換え、「犬吠」駅で降ります。
ここから、西に向かい、愛宕山の坂道を上ります。

(1)  高神愛宕山_㋐ 【写真A~B】  
愛宕山0096EdChr  銚子半島で最も高い高神愛宕山(73.62m)は、中生代 ジュラ紀(1億5000万年前)の付加体で、砂岩礫質頁岩からなり、愛宕山層群に属します。

 付加体に 陸側から土砂を供給したのは、三畳紀のユーラシア大陸における、地塊の衝突とされています。
 三畳紀中期(2億3000万年前)に、プレートに載って北上する南中国(揚子)地塊と、同じく東進する北中国(中朝)地塊が衝突し、その縫合線の北東端から海中に、大量の土砂が流出し、海溝斜面を乱泥流として下降し、深い海中に堆積しました。

フズリナ高神礫岩EdChr  愛宕山の頂上に立つ「地球の丸く見える丘展望館」の足元には、愛宕山層群の下層の一部を構成する高神礫岩があります。
  高神礫岩に含まれる花崗岩類からは、K-Ar分析により、古生代 ペルム紀中期(2億7000万年)の角閃石や、同じくペルム紀後期(2億5500万年前)の黒雲母が発見されています。また、高神礫岩に含まれる石灰岩礫からは、同じくペルム紀後期のフズリナが、数多く見つかります。
  高神礫岩は、含まれる花崗岩類のの成分分析により、東北の南部北上帯および九州の黒瀬川帯で見つかる薄衣式礫岩と類似し、両者の中間的な特徴を持つ地層と見做されています。

  銚子半島の基盤は、高神愛宕山と同様、ジュラ紀の付加体から成ります。

(2)  屏風ヶ浦 & 下総台地_㋑ 【写真A~C】
屏風ヶ浦011Ed5Chr

    愛宕山を南に下ると、屏風ヶ浦の海岸に出ます。ここから西を望むと、新生代 第四紀更新世(258万年~1万年前)に、洪積層の堆積で形成された下総台地が、標高約30m~60mで、刑部岬(旭市)まで約10kmに亘って続きます。屏風ヶ浦で最も標高があるのは磯見川南岸で、「光と風の展望館」のある断崖の北側で、68mです。
  屏風ヶ浦の地層は、下位から順に、犬吠層群(265万年~40万年前)香取層(13万年前)関東ローム層(5万年~1万年前)から構成されています。犬吠層群は、下位から順に、名洗層春日層小浜層横根層呼ばれ、これらは上総層群の一部です。
  屏風ヶ浦名洗層の下部は新第三紀 鮮新世(280万年~258万年前)に堆積しました。屏風ヶ浦名洗層(280万年~220万年前)は凝灰質砂岩から成ります。春日層(220万年~170万年前)は砂岩とシルト岩互層を成し、タービダイトによるスランプ構造逆断層が見られます。小浜層(170万年~78万年前)は下部がシルト岩で上部がシルト質砂岩横根層(78万年~40万年前)はシルト質砂岩から成ります。

下総台地の谷頭浸食EdChr  遠くからも縞状に見える屏風ヶ浦地層には、日本各地からの広域火山灰が堆積しています。250万年前の火山灰の地層からは、丹沢の巨大噴火によるザクロ緑色片岩が発見されています。
  関東造盆地運動により、東京を含む関東平野中心部は、現在も徐々に沈降を続け、銚子半島は現在も徐々に隆起を続けています。 
  結果的に、屏風ヶ浦の地層は、北から南へ、約3°、緩やかに傾斜しています。ボーリング調査の結果、東京では、屏風ヶ浦と同等の地層が、地下の約1200m付近から得られます。

  下総台地上部の香取層や関東ローム層は、続成が進んでいないために軟弱で、雨水や川による谷頭浸食が進み、浸食谷が川の上流に向かって樹枝状に伸びる様子が、航空写真から見てとれます。側面からはラクダのコブが続くように見えます。
常燈寺薬師如来EdChr  先人達は、谷頭浸食を利用して、水利の良い低地に谷津田を作りました。浸食で残った台地上は畑地に利用されています。台地と谷津田の境界となる法面には、タブ・スダジイ・ツバキ・ヤツデなどの照葉樹林の森が残っています。

  また、太平洋の荒波に晒される下部の犬吠層群は、海食崖の形成と崩落を繰り返して、約1m/年ずつ後退しています。平安末期には、今より1kmも東に海岸線があり、壇ノ浦で「義経四天王の一人として活躍した片岡常春の佐貫城があったと伝わります。今では、地元の地名に「サヌキ」を残すばかりです。
  
片岡常春は、両総平氏の一族・海上庄司常幹の子で、三崎(銚子市三崎町)が本領です。飯岡灯台の立つ刑部岬の地名は、片岡常春の家老=鬼越刑部の館が、この岬の崖下にあったことに由来すると伝わります。

 
旭市に近い磯見川の流域には、黒潮に乗って太平洋から磯見川を遡上した、新石器時代からの先人たちが定着しており、遺跡・古墳・城址が豊富です。
  現在は過疎化が進んで、伝承の多くが失われていますが、鎌倉時代初期の代表的な作例とされる、国指定の重要文化財=薬師如来像(常燈寺)の「飛天光背」からは、12体の音声菩薩(飛天)が奏でる往時の楽の音が聞こえてくるようです。
  この仏像の地元公開は毎年1月8日だけですが、千葉県中央博物館に精巧なレプリカを常設展示しており、当時の銚子の文化程度の高さを実感できます。

(3)  犬岩・千騎ヶ岩・犬若岬_㋒ 【写真右】
犬岩1199377Ed3Chr    屏風ヶ浦の海岸沿いに東へ進み、犬若岬に出ると、遠い南の海から海洋プレートに載って移動し、中生代 ジュラ紀(1億5000万年前)に付加体となった、義経伝説の「犬岩」と「千騎ヶ岩」が、波に洗われています。ここの付加体高神愛宕山と同様硬砂岩泥岩からなり、愛宕山層群に属します。

  「犬岩」の東に位置する犬若岬には、「犬岩」に隣り合う岬の南側に正断層があり、その下部が海食洞になっています。この海食洞からは、常時、海水が陸側に打ち寄せています。台風などで風の強い日は、波の花が、陸側に吹き上がって見事です。
 海食洞のある南側から鍵の手に折れて、岬が北行する部分には、南側からジュラ紀の巨大な岩体が衝上しています。

  その断層部分より北側には、ジュラ紀の岩の窪みを埋めるように、新生代 新第三紀 鮮新世名洗層(500万年前)が堆積しています。ここでの名洗層は、凝灰質砂岩が勝り、分厚い斜交層理が目立ちます。下部のジュラ紀の岩体とは、アバット(不整合の一種)で接しており、ここでの名洗層の堆積が、比較的浅い海で、短い期間に発生したことが分ります。
  「本家の台」と呼ばれる岬の上部に登ると、ジュラ紀の岩体の隙間に、名洗層の凝灰質砂岩が堆積し、側面に、名洗層の地層の縞模様が見えます。 
 
(4)
  宝満_㋓ 【写真左】
宝満Ed2Chr  外川漁港から海沿いに、「長崎灯台」のある長崎鼻を回ると、浅い海中に、義経伝説が彩る島=「宝満の、大小の岩礁があります。この岩礁へは、大潮の日の干潮時には徒歩で渡ることができ、岩体を詳細に観察できます。日頃は人が近づかないので、ウミウの生息地になっています。

  日本海が拡大を始める少し前、新生代 新第三紀中新世前期(2100万年前)、この一帯の浅い海中には火山フロントがあり、この島に古銅輝石安山岩が噴出し、板状節理を成しています。熔岩には気泡が通過した無数の穴があり、下部は酸化して赤褐色となっています。

  古銅輝石安山岩は、青銅に似て緑色をした古銅輝石の小粒の結晶を大量に含み、苦灰石方解石が節理の隙間を埋めています。古銅輝石は、斜方輝石の一種で、高マグネシウムを特徴とし、鉄分が少な目です。また、苦灰石は、灰白色を基準に、塩化鉄を含むと黄ばみ、酸化鉄を含むと赤味を帯びます。
  
  ここの安山岩は、Mg(マグネシウム)を多く含み、SiO2(二酸化珪素)の比率が他の安山岩より少な(玄武岩に近)く、比較的穏やかに噴出して、浅い海中や地表を流れたと考えられています。古銅輝石安山岩は、宝満では凝灰質砂岩の上を覆い、「宝満では犬吠埼とよく似た砂岩を半分ほど覆っています。 

(5) 長崎海岸_㋔ 【写真右】
長崎海岸風景EdChr   「宝満」を臨む長崎海岸の地層は
中生代 白亜紀前期(1億年前)のやや深い海に堆積した銚子層群長崎鼻層です。白亜紀には、海洋プレートが北上していたので、銚子半島の白亜紀の地層も、北ほど古く、南ほど新しくなります。長崎鼻は、銚子半島東岸で最南端に位置するので、長崎鼻層は、銚子半島東岸に堆積した銚子層群の中で最も新しい地層です。

Trigonia3161EdChr 長崎海岸の西側の海岸段丘上には、
新生代 新第三紀 鮮新世(500万年前)に堆積した名洗層基底部があり、それ以前に堆積したジュラ紀~白亜紀~新第三紀 中新世の地層を、として取り込んでいます。
 長崎海岸を歩くと、薄緑・オレンジ・赤紫などのジュラ紀のチャートや、グレーの犬吠砂岩、黒い石炭や泥岩、黒い古銅輝石安山岩などの転石が、至る所に見られます。また、名洗層凝灰質砂岩に取り込まれた、白亜紀のノジュールなどもあります。
  泥岩の中から白亜紀の琥珀を見つけた人や、ノジュールの中から白亜紀のアンモナイトトリゴニアを見つけた人もいますが、よく見つかるのは名洗層サメの歯です。
  アンモナイトや殻が合わさった二枚貝化石の内部には、方解石の結晶ができていることがあります。因みに、方解石は、CaCO3 炭酸カルシウム)からなる鉱物です。方解石と同じ化学組成で、サンゴのような形状に結晶した霰石(アラレイシ)を見つけた人もいますが、今では乱獲が進んでいるようです。
                                            【銚子半島ぐるっとジオ_解説編 (2)へ続く】

銚子半島ぐるっとジオ_マップ編

ぐるっとmapChr

  上のマップをクリックすると、拡大します。

  マップ内の12か所のジオポイントの解説は、「銚子半島ぐるっとジオ_解説編(1)~(3)」を参照。

_高神愛宕山_(1)、_屏風ヶ浦 & 下総台地_(2)、_犬岩・千騎ヶ岩_(3)、

_宝満_(4)、
_長崎海岸_(5)、_犬吠埼_(6)、 _海鹿島_(7)

_黒生_(8)、_黒生海岸段丘_(9)、_ポートタワー_(10)、

_一ノ島四ノ島_(11)、_香取海と利根川河岸段丘_(12)

市外から電車で銚子に来られる場合、『銚子半島ぐるっとジオ』のジオポイント(1)~(12)を実際に移動するには、銚子市のレンタサイクルがお奨めです。
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